ハングルの勉強 2 쇼펜하우어

哲学者ショーペンハウアーに関する文章を和訳してみる。

 

【本文】

독일의 철학자. 쇼펜하우어는 자신이 칸트의 사상을 비판적으로 받아들였으며 칸트의 사상을 올바르게 이어받았다고 확신했다. 당대의 인기 학자였던 헤겔, 피히테, 셸링 등을 칸트의 사상을 왜곡하여 사이비이론을 펼친다며 강력히 비판했다. 쇼펜하우어가 박사학위 논문으로 쓴 <충족이유율의 네 겹의 뿌리에 관하여>는 철학(인식론)의 고전이 되었다. 20대의 젊은 나이 때부터 수년 간 <의지와 표상으로서의 세계>를 쓰기 시작하여 1818년에 출간하였다. 대학강의에서 헤겔과 충돌한 후 대학교수들의 파벌을 경멸하여 아무런 단체에도 얽매이지 않고 대학교 밖에서 줄곧 독자 연구 활동을 지속하였다. 이후 자신의 철학이 자연과학의 증명과도 맞닿아 있음을 <자연에서의 의지에 관하여>라는 책에서 주장했다. 그 뒤에 윤리학에 대한 두 논문을 묶어 출판하였다. <의지와 표상으로서의 세계>가 출판된 지 26년이 지난 1844년에 개정판을 출간하였다. 이후 <여록과 보유>라는 인생 전반에 관한 수필이 담긴 책을 출간했고 이 책은 쇼펜하우어를 유명 인사로 만들었다. 쇼펜하우어의 서적들은 주장이 굉장히 명쾌하다. 동시대 인기 철학자인 헤겔과 비교했을 때 헤겔은 현학적인 문장으로 읽는 사람을 난해하게 하는 반면 쇼펜하우어의 문장은 명료하고 지시성이 있다. 그의 저서에서 언어 철학적 입장이 잘 드러나는 이유이기도 하다.

쇼펜하우어는 1820년 대에 동양학자 프리드리히 마이어를 통해 힌두교와 불교에 관해 알게 되었다. 이 종교들의 핵심교리 속에 자신과 칸트가 도달한 결론과 같은 것이 있음을 깨닫게 되었다. 먼 과거의 동양 사상가들이 서양과는 전혀 다른 환경, 언어, 문화 속에서 근대적인 서양철학의 과제에 대해서 같은 결론을 말한다고 생각했다. 이 발견을 쇼펜하우어는 글로 써서 남겼고 서양에서 최초로 동양 철학의 세련된 점을 독자들에게 알려주었다. 쇼펜하우어는 서양 철학과 동양 철학 간의 유사성을 말한 철학자이자 자신이 무신론자임을 표명한 독창적인 철학자로 손꼽힌다. 19세기 말에 유행하여 수많은 사상가들에게 영향을 끼쳤다. 

https://namu.wiki/w/%EC%95%84%EB%A5%B4%ED%88%AC%EC%96%B4%20%EC%87%BC%ED%8E%9C%ED%95%98%EC%9A%B0%EC%96%B4

 

【和訳】

ドイツの哲学者。ショーペンハウアーは自身がカントの思想を批判的に受容し、カントの思想を正しく受け継いだと確信した。当時、人気の学者だったヘーゲルフィヒテシェリングらを、カントの思想を歪曲して、えせものの議論を展開しているとして強烈に批判した。ショーペンハウアーが博士論文として書いた『充足理由律の四重の根について』は哲学(認識論)の古典となった。20代の若い年の頃から数年間『意志と表象としての世界』を書き始め、1818年に出版された。大学の講義でヘーゲルと衝突したのち、大学教授たちの派閥を軽蔑し、どの団体にも縛られることなく大学の外でなお独自の研究活動を続けた。以後、自身の哲学が自然科学の証明とも重なり合うということを『自然における意志について』という本で主張した。その後には倫理学についての二つの論文をまとめて出版した。『意志と表象としての世界』が出版されてから26年が経った1844年に改訂版を出版した。以後、『余録と補遺』という、人生全般にかんする随筆が収められた本を出版し、この本でショーペンハウアーは有名人となった。ショーペンハウアーの書籍は、主張がかなり明確である。同時代の人気哲学者ヘーゲルと比較すると、ヘーゲルは衒学的な文章で読者に難解さを強いる反面、ショーペンハウアーの文章は明瞭で指標性がある。彼の著書に言語哲学的な立場がよく現れる理由でもある。

ショーペンハウアー1820年代に東洋学者フリードリヒ・マイヤーを通じて、ヒンドゥー教と仏教にかんする知見を得た。これらの宗教の核心教理のうちに自身とカントが到達した結論と同じものがあることを悟るようになった。遠い過去の東洋の思想家たちが、西洋とは全く異なる環境、言語、文化のなかで、近代的な西洋哲学の課題に対して同じ結論を言っているのだと考えた。この発見をショーペンハウアーは書きしたためて残し、西洋ではじめて東洋哲学の洗練された点を読者に示した。ショーペンハウアーは西洋哲学と東洋哲学のあいだの類似性を語った哲学者であり、自身が無神論者であると表明した独創的な哲学者として数えられる。19世紀末に流行し、数多くの思想家たちに影響をあたえた。

 

【感想&訳のポイント】

 文が長すぎることもなく、かなり意味が取りやすい文章だった。文法的な難しさはないが、訳しづらい語彙がいくつかあったが、それは以下で細かく述べる。

ところで、近年機械翻訳の進化はめざましいものがある。日本でもGoogle翻訳を超える精度をもつDeepLが話題となったが、残念なことにDeepLでは韓国語は提供されていない。ところが、DeepLと同じくニューラルネットワークを搭載したPapagoという機械翻訳サービスがNAVER社から提供されており、ここでは韓国語⇆日本語の翻訳ができる。試しに使ってみたが、たしかにすごい。Google翻訳よりも圧倒的に自然な日本語が出力されてきた。

 

 ハングルは日本語と語順がほとんど同じなので逐語訳でも別段問題は起こらないが、翻訳にあたって工夫がいらないというわけではない。

「받아들이다」は直訳すれば「受け入れる」となるが、哲学の文脈を意識して「受容」と訳した。「사이비이론」はネットで調べても訳語が出てこない、ちょっと厄介な語彙である。いつもありがたく利用しているKpediaにもなかった。「사이비이」を韓日辞典を引いたところ、「似而非」と記載されていた。「론」はそのまま「論」のことなので、「えせものの議論」と訳してみた。「박사학위 논문」は直訳で「博士学位論文」だが、冗長になると思ったので日本で一般的な言い回しの「博士論文」とした。

「<충족이유율의 네 겹의 뿌리에 관하여>」というのは原文のドイツ語では「Über die vierfache Wurzel des Satzes vom zureichenden Grunde」である。日本では確定的な訳がないらしく、「充足根拠律の四方向に分岐した根について」とか「根拠律の四つの根について」とか、あるいは「充足理由律の多様な根拠について」とか色々に訳されている。ハングル文をそのまま訳して「充足理由律の四重の根について」とした。「<의지와 표상으로서의 세계>」はそのまま「意志と表象としての世界」でよい。

7文目、「맞닿아 있다」の訳にはすこし困った。「맞닿다」はKpediaによると、「触れ合う、接する、相俟つ」等の意味があるらしい。だがこれをそのまま採用して「自然科学の証明とも触れている」と訳すのは少し不格好だと感じたので、「맞닿다」を「関連している」くらいの意味にとらえて、「重なり合うところがある」と訳してみた。上で紹介したPapagoによる訳文は下に掲載しておくが、Papago訳では「つながっている」となっており、かなりきれいに訳せている。

「이 책은 쇼펜하우어를 유명 인사로 만들었다」という一節は、直訳すると「この本はショーペンハウアーを有名人士にした」となる。「인사」というのは漢字にすると「人士」となる。人士というのは要するに「知識や教養があって社会的に高い地位にある人」のことだが、日本で人士という表現はあまり用いないので、たんに「有名人」という程度に訳した。「有名な知識人」とかの訳も考えたが、冗長になるのでやめた。また「この本は~有名人にした」という表現もやや訳文調に響くので、「この本で有名になった」とした。

「출간」は漢字では出刊、「출판」は出版となる。意味は同じである。日本語では「出刊」という言い方はあまりしないので、両者はともに「出版」とした。

ヘーゲルショーペンハウアーの文章を比較するくだりに出てくる「난해하게 하다」という一節にはやや困った。「난해」は難解となり、そのままの意味である。が、「난해하게 하다」となると一気に訳しづらい。直訳では「難解にさせる」となるが、そんな言い回しは日本語にはない。すこしばかり苦しいが、「難解さを強いる」と訳してみた。

そして、この文章のなかでも一番よくわからないのが、「지시성」という単語である。「지시」は漢字になおせば「指示」、「성」は「性」である。だが「指示性」と言われてもよくわからない。「지시성」で検索したところ以下のサイトにたどり着いた。解説を訳して引用しておく。

자기 지시성 | 아키수다 Wiki | Fandom

言語の自己指示性は…外部の基準に依存せず、内的な構造によってその意味が決定されることをいう。

언어의 자기 지시성은 … 외부의 기준에 의존하지 않고 내적인 구조에 의해 그 의미가 결정되는 것을 가리킨다.

これで意味がはっきりした。この単語が登場する文脈は要するに「ヘーゲルは冗漫な悪文、ショーペンハウアーは簡潔な良文」なのだという程度のものだし、後続の文には「언어 철학ー言語哲学」という語が出てくる。文脈的にもこの解説でほとんど正解だろう。

噛み砕いておくと、例えば我々一般読者がヘーゲルの本を読むさいは、専門家の注釈書やヘーゲル専用の辞書を携えておかないと、ほどんど意味を理解できない。一方でショーペンハウアーの文章は、特別の注釈がなくとも本文だけでそれなりに意味が明瞭に取れる。「지시성」という語彙で言いたかったことは、さしあたりこの程度のことだろう。

 

【Papagoによる和訳】

ドイツの哲学者 ショーペンハウアーはカントの思想を批判的に受け入れ、カントの思想を正しく受け継いだと確信した。 当代の人気学者だったヘーゲルフィヒテシェリングなどをカントの思想を歪曲して似非理論を繰り広げる」と強く批判した。 ショーペンハウアーが博士号論文で書いた『充足理由率の四重のルーツに関して』は哲学(認識論)の古典となった。 20代の若い頃から数年間「意志と表象としての世界」を書き始め、1818年に出版された。 大学講義でヘーゲルと衝突した後、大学教授たちの派閥を軽蔑し、何の団体にも縛られず大学の外で独自研究活動を続けた。 その後、自分の哲学が自然科学の証明ともつながっていることを『自然における意志に関して』という本で主張した。 その後、倫理学に関する二つの論文をまとめて出版した。 『意志と表象としての世界』が出版されて26年が経った1844年に改訂版を出版した。 その後、『余録と保有』という人生全般に関する随筆が盛り込まれた本を出版し、同書はショーペンハウアーを有名人にした。 ショーペンハウアーの書籍は主張が非常に明快だ. 同時代の人気哲学者であるヘーゲルと比べると、ヘーゲルは衒学的な文章で読む人を難解させる反面、ショーペンハウアーの文章は明瞭で指示性がある。 彼の著書で言語哲学的立場がよく表れる理由でもある。

ショーペンハウアー1820年代に東洋学者フリードリヒ·マイヤーを通じてヒンドゥー教と仏教に関して知るようになった。 これらの宗教の核心教理の中にカントが到達した結論のようなものがあることに気づいた。 遠い過去の東洋思想家たちが西洋とは全く違う環境、言語、文化の中で近代的な西洋哲学の課題について同じ結論を述べると考えた。 この発見をショーペンハウアーは文章で書き残し、西洋で初めて東洋哲学の洗練された点を読者に知らせた。 ショーペンハウアーは西洋哲学と東洋哲学の類似性を語った哲学者であり、自分が無神論者であることを表明した独創的な哲学者として挙げられる。 19世紀末に流行し、多くの思想家に影響を与えた。

 

Google翻訳による和訳】

ドイツの哲学者。ショーペンハウアーは、自分がカントの思想を批判的に受け入れ、カントの思想を正しく受け継いだと確信した。当代の人気学者だったヘーゲル、ピヒテ、シェリングなどをカントの思想を歪曲してサイビ理論を広げると強く批判した。ショーペンハウアーが博士学位論文で書いた「忠族理由の四重の根について」は哲学(認識論)の古典となった。 20代の若い年齢から数年間、<意志と表象としての世界>を書き始め、1818年に出版した。大学講義でヘーゲルと衝突した後、大学教授の派閥を軽蔑し、何の団体にも縛られず、大学の外でずっと独自の研究活動を続けた。以後、自分の哲学が自然科学の証明にも触れていることを<自然での意志について>という本で主張した。その後、倫理学に関する二つの論文をまとめて出版した。 <意志と表象としての世界>が出版されてから26年が過ぎた1844年に改正版を出版した。以後<ヨロクと保有>という人生全般に関するエッセイが込められた本を出版し、この本はショーペンハウアーを有名人にした。ショーペンハウアーの書籍は主張がとても明快だ。同時代の人気哲学者であるヘーゲルと比較したとき、ヘーゲルは賢明な文章で読む人を難解にする一方、ショッペンハウアーの文章は明瞭で指示性がある。彼の著書で言語哲学的立場がよく現れる理由でもある。

ショーペンハウアー1820年代に東洋学者フリードリヒ・マイヤーを通してヒンズー教と仏教について知った。この宗教の核心教義の中に、自分とカントが到達した結論のようなものがあることに気づいた。遠い過去の東洋思想家たちが西洋とは全く違う環境、言語、文化の中で近代的な西洋哲学の課題に対して同じ結論を語ると考えた。この発見をショペンハウアーは書いて残し、西洋で最初に東洋哲学の洗練された点を読者たちに知らせた。ショーペンハウアーは西洋哲学と東洋哲学の間の類似性を語った哲学者であり、自分が無神論者であることを表明した独創的な哲学者に挙げられる。 19世紀末に流行し、数多くの思想家に影響を与えた。